1. はじめに
「人口論」を知ってるだろうか?人間の人口の推移をきわめて長い時間軸を取って、マクロ的に分析するという学問で、実はこれむちゃくちゃ面白い学問だ。サステナビリティが大きな問題になる現代において、あるいは、少子高齢化が世界最速のスピードで進む日本において、人口論は、もっと注目されてしかるべきだ。
今回は、日本の代表的な人口論の研究者である、元上智大学教授の鬼頭宏教授の研究などを引用しつつ、今後、我々、日本人がどのような未来像を描きながら、いきていくべきなのか、という話をしていきたいと思う。
2. 歴史が示す人口減少の本質
実は、世界の人口の歴史的な推移を見てみると、人口は、成長と停滞、あるいは、人口減を繰り返してきている。
そして、日本は島国であり、この人口の増減の波が、極めて顕著に出やすいという特色がある。鬼頭教授による下記の資料を参照してほしい。
どある期間一定の増加を見せた後に、人口が停滞する、ないしは減少しているというのを繰り返しているのが読み取れるだろう。そして、直近のグラフも大きく落ち込んでいる。
過去1万年の人類史において、人口変動には4つの大きな波が存在していた。
第一の波は狩猟採集社会から農耕社会への移行期、第二の波は古代国家の形成期、第三の波は中世社会の形成期、そして第四の波が産業革命以降の近代化の時期である。それぞれの波において、人類は新たな技術や社会システムを確立し、その結果として人口増加を実現してきた。
鬼頭教授は、下記のように説明している。
人口転換というのは、新しい技術が入ってきて、それに基づいて新しい社会がつくられていったときに、生活様式が大きく変わっていく。その過程で人口が増える。
しかしその新しい技術であるとか制度が列島中に浸透しわたって、もう発展の余地がなくなるというようなときに、人口の増加がストップする
このように考えると、社会の授業で習う農業技術の発達などは、単位面積当たりの収穫量を押し上げる効果があるし、新田開発なども重要な国家プロジェクトとして行われたのも、腑に落ちるというものだ。当時は、定期テスト前に、どうして「備中ぐわ」とか、「千歯こき」などを覚えさせられるのか意味不明であったが、このように歴史の流れの中でとらえると、農業技術は、社会発展、国家発展に密接にかかわっていることがよく理解できるだろう。
そして、現在、我々が今直面している少子高齢化。これは、第4の波である工業化が一巡する中で、新たな人口の伸び悩みの時期に突入しているということである。さらにいうと、実は、少子化は世界的な現象であり、脱線するので詳細は語らないが、実は、世界の人口爆発はもうすでに収まりつつある。先進国はもとより、アフリカのような発展途上国でも、急激なスピードで都市化が進むことで、出生率は収まりつつある。
このように、少子高齢化を人口論の歴史の中でとらえなおすと、「少子高齢化」を、やばい、やばいと、慌てるだけではなくて、人口増加を前提とした考え方を改める必要があるということ、人口を適度に均衡させながら、ソフトランディングを目指すことが重要であることが浮かび上がってくる。
そして、そのソフトランディングにおいては、過去の人口減少期に起きたことや行われたことを改めて振り返ることが重要であり、それは、ひいては、世界の少子化に対するヒントにもなるのではないかと考えている。では、次の章で、直近の人口減少期である江戸時代後期に着目してみてみたいと思う。
3. 江戸時代後期と現代日本:驚くべき相似性
実は、人口減少や停滞を経験した江戸時代後期は、現代日本を考える上で驚くほど多くのヒントを示している。具体的な事例を見ていこう。
食文化と消費の洗練
江戸時代後期には、食文化や消費文化の洗練が進んだ。例えば、押し寿司から東京湾の魚介類を使用した握り寿司への進化が起こり、現代の江戸前寿司の基礎が築かれたのもこの時期であるし、また、現代の形に近い蕎麦も、この時期に完成した。さらに注目すべきは、「良い趣味」を追求する中間層の出現である。古物収集に情熱を注ぐ好古家たちの活動は、モノの所有そのものではなく、趣味や嗜好を通じた充実感を求める現代の消費傾向と重なっていく。
教育の普及と識字率
実は、19世紀の江戸における寺子屋への就学率は70〜85%、識字率は70%以上であり、これは世界的に、極めてまれな現象であった。江戸末期、明治期に日本を訪れた外国人も、日本人の識字率の高さに驚いている。
地方でも寺子屋は広く普及し、全国平均で約60%以上の識字率を達成。これは当時の世界でもトップレベルでした。寺子屋では、読み・書き・算盤といった実用的なスキルが教えられ、個別最適化された対話的な学びが特徴でした。特に和算の分野では、人々の主体的な探究により高度な学問的成果が生まれ、社会にも還元されていた。この教育基盤は、明治維新後の日本の急速な近代化の礎となった。
メディアと大衆文化
浮世絵は、木版画技術の発展により大量生産が可能となり、絵師、彫師、摺師の分業体制によって低価格での提供を実現した。例えば広重は安政3-5年(1856年-58年)に120枚揃いの作品を制作している。浮世絵は当時の庶民にとって、流行ファッション誌や歌舞伎役者のポスター、ブロマイドの役割を果たし、瞬く間に広く浸透したのだ。
コミュニティの変容
従来の血縁・地縁に基づくコミュニティに加えて、狂歌連のような文化サークルが形成され、身分や障害の有無に関わらず、共通の趣味を通じて人々がつながったのも挙忘れてはならない。例えば、塙保己一の例に見られるように、学問を通じて健常者と障害者が自然につながる機会も生まれました。これらのコミュニティでは、金銭のやり取りを重視しない互助的な関係が築かれていた。
循環型社会システム
江戸時代の循環型社会システムは精緻を極めました。木材、わら、綿などの植物性材料は繰り返し使用され、灰や紙くず、糸くず、木くずまでもが売買・再利用された。特筆すべきは都市のし尿処理システムで、幕府公認の請負人による収集・運搬・処分システムが確立され、都市から農村への肥料として循環する仕組みが作られた。
地域経済の自立
各藩は独自の特産品開発を通じて経済の自立化を図っていた。例えば広島藩では、木綿、紙(楮)、塩、牡蠣、米(最大の特産物)などが生産され、特に広島米は大坂でブランド米として高値で取引された。藩は藩札の発行や専売制の実施を通じて、藩と民間の双方が利益を得る仕組みを構築した。
これらの事例は、人口停滞期においても、むしろそれゆえに、質的な充実や文化的な深化が可能であることを示している。現代の日本もまた、量的拡大から質的充実への転換期にあると言えるだろう。
どうだろう?ここで挙げた要素は、実は、日本が今世界から注目されている理由に重なってこないだろうか?
例えば、日本の漫画やアニメ、これは今や世界中の人が注目しているテーマである。アメリカでは、ポケモンやサンリオの売り上げは、ディズニー関連のコンテンツの売り上げを上回る域落ちだ。また、日本の「食」などはすでに世界中から注目されているのは周知の事実であるし、最近は、地方の空き家を買い取って、移住する外国人Youtuberなどを目にする機会も増えている。これは、日本に住むことの良さが見出されている例ではないだろうか。
このようにして考えると、実は、我々が、「失われた30年」としてマイナス評価をしているバブル崩壊以降の発展は、日本にとっては、幸いだったのではないかと思える点もある。
もし、日本があのままバブル崩壊を免れて経済成長の道を突き進んでいたら、今のアメリカのように、生活コストが高く、一部の金持ち以外にとっては、暮らしにくい国になってしまっていたのではないか?
もし、日本が、世界に先駆けて、経済成長を前提としない豊かさを模索していて、今の我々は、それをすでに形にしつつあるのだとしたら?
それは、今後、世界が模索するであろう、人口減少時代の社会システム、価値観、生き方、そうしたものへのヒント、処方箋になるのではないだろうか?
6. おわりに:歴史からの学びと未来への展望
歴史人口学者の鬼頭宏氏が示唆するように、私たちは今、文明史的な大きな転換点に立っている。産業革命以降続いてきた大量生産・大量消費型の文明システムが限界を迎え、新たな文明システムへの移行が求められているのだ。
江戸時代後期との比較で見えてきたのは、人口減少時代は必ずしもネガティブな時代ではないという事実である。むしろ、量的拡大から質的充実へ、そして成長から成熟への転換期として捉えることができる。
特に注目すべきは、現代の日本が世界から注目されている特質の多くが、実は江戸時代から受け継がれてきた価値観や生活様式と深く結びついているという点だ。安全で清潔な都市、質の高い教育システム、洗練された消費文化、そして循環型の生活様式など、これらは江戸時代に培われた知恵の現代的な展開と見ることができる。
このことは、日本が人口減少時代における新たな可能性を示すフロントランナーとなりうることを示唆している。すでに世界の多くの人々が、日本の生活様式や社会システムに関心を寄せ、実際に日本での生活を選択する例も増えている。
重要なのは、これらの特質を「偶然の産物」として見るのではなく、意識的に育て、発展させていくことだ。人口減少時代に適応した新たな文明システムの構築は、単なる課題ではなく、日本が世界に貢献できる重要な機会なのである。
鬼頭氏が引用する「悲観は気分に属し、楽観は意思に属する」という言葉は、まさに現代の私たちに向けられたメッセージと言えるだろう。人口減少を「問題」としてではなく、新たな可能性を切り開く「機会」として捉え、積極的に取り組んでいく。そのような姿勢こそが、今の日本に求められているのではないだろうか。
参考:日本記者クラブ 「人口減少問題」研究会 鬼頭宏教授