あなたは、AIをどの程度取り入れているだろうか?
博報堂が実施した最近の調査データによれば、AIを月に1回以上使っている人は、8%であり、利用はしていないが知っている人が約3割、約7割は全く知らないという状態であり、まだまだ、生成AIの活用は、始まったばかりというのが、実際のところなのだろう。
私は、個人的にAIに注目しており、コンテンツマーケティングをビジネスにしているイノーバでも積極的に活用を推進してきた。
その中で感じる事がある。
生成AIは確実に、人間が情報を集め、処理し、知恵を生み出す、この知的生産作業を変えていく。
生成AIは電気に譬えられる事もあるが、私の感覚では違う。電気というよりは、文字、活版印刷、そして、インターネットという、人間の情報の生産、共有に根本的に影響を与えるものであると考えている。
今回の記事では、生成AIが人間の知的生産にどのように影響を与えるのか、その可能性を考えていきたい。
生成AIを使っていると、すごく疲れる
生成AIを日常的に使っている方、以前と比べて、すごく疲れるなと感じないだろうか?私は、個人的に、”before生成AI時代”と比べると、脳の疲労スピードが劇的に上がったと感じている。
おそらく、私の(あるいは、弊社の)生成AI利用率は、世の中的には、相当高い方である。個人で資料を作る時にはもちろん、Zoomミーティング中にも、生成AIの画面を共有しながら、実際のアウトプットを共同作業で作るほどだ。
このような使い方をすると、脳がものすごく疲れる。あまりにつかれるので、一日の途中で、仮眠をとらないと、頭がまともに動かないと感じる事もある。
私の仮説では、生成AIは、大量のテキスト情報を吐き出す。アウトプットスピードは恐ろしく速い。これを読み解くには、「速読的な」認知能力が必要で、これはかなりの集中を必要とする。また、生成AIを使っている人はわかると思うが、常に、プロンプトを作って、「AIとの対話」を繰り返す必要がある。
生成AIは、残念ながら、まだ、ポンコツなところがあり、なかなか思ったアウトプットが出ず苦戦する事もあれば、思いのほか、良いアウトプットが出て、ものすごくうれしくなることがある。これは、ある種、ゲームをやってる時のような、脳の報酬系が動いているのではないか、という気がする。
これは、あくまで私の個人的な経験だが、生成AIを仕事に使っていると、「楽しいけど、すごく疲れる」のである。
生成AIは今までと違う脳の使い方を強制してくる
そこで、私が感じていることがある。それは、生成AIは、これまでと違う脳の使い方を、我々に強制してきているのではないだろうか?これまでと違う脳の使い方が原因で、生成AIを使う(あるいは、使わされている)我々は極度の疲労を感じるようになっているのではないだろうか?
では、生成AIを使うことで、脳が行っている処理は何か?以下に、企画書を執筆する事を想定して、”従来のやり方”と”生成AIを活用する場合”の比較を行ってみた。このようにしてみると、生成AIを活用して、1個1個の作業は、楽になっているし、高速化しているかもしれないが、結果として、次々と次の作業工程に進むために、脳の負担が高くなっているのではないかという可能性を感じる。
これを脳の負担の大小、脳の使い方の切り替えの多い少ないで分析を試みると、以下にょうになる。(あくまで主観で恐縮ではあるが)脳の負担は一見少ないが、脳の切り替えが頻繁に発生しているのがわかる。これが、生成AIを使うことによる、「楽しさ」であったり、「疲労感」につながっているのではないかと考えている。
ここで私が思うのは、このような仕事の仕方、このような脳の使い方が一般化してくると、人間の脳にも影響を与えていくのではないかということである。実際、人間の脳の特徴として、その驚くべき「可塑性」がある。
例えば、慶應大学の牛場教授は、脳に電気的な刺激を与えることで、麻痺した身体機能を取り戻す研究をしている。
このように、人間の脳は、驚くべき、可塑性、柔軟性を持っており、この柔軟性が、種としての人間の発展を支えてきたのは間違いがないのである。
人間は脳の使い方を変えながら進化してきた
ここまで考えて思う事がある。それは、人間は、その長い歴史の中で、脳の使い方を進化させてきた。
例えば、原始時代、主に、人々は狩猟採集をして暮らしていた。その時代においては、採集に必要な知識(どこにどのような果物や木の実があるか)というものと、狩猟に必要なスキル(狩猟対象の動物との駆け引き、仲間同士での統一された行動)が重要なスキルであったろう。ある意味、記憶と情報処理の両方が求められていた時代かもしれない。そして、口承文化の時代においては、様々な物語を記憶して、口頭で伝える力が、尊敬を集めたのかもしれない。
次に、農耕時代に移り、集団の中で、役割分担が発生してくる。ここでは、文字が生まれ、法律が生まれる。ここにおいては、文字を扱う人間が特別な地位を得ることになるだろう。官僚機構というものが生まれるのは、このころかもしれない。この分業された時代においては、各自が役割分担を行う事になり、実は、脳の認知負荷は下がったのかもしれない。
そして、宗教が生まれ、封建制度と一体になったり、争ったりしながら、社会の体制が洗練されていく。宗教は、経典を生み出す。ここでは、経典を読み、解釈する事が特別な地位と力を生み出すことになる。
国家は停滞し、周辺民族により占領される
宗教化された国家は、統治者の存在理由を生み、規模の拡大を可能とするが、その一方では、国家は一定の発展ののちに、停滞を生み、貧富の格差を生み、国力の低下を招く。そこでは、国内・国外の武力を持った勢力が現れて、衰退した国家を占領し、その文物を選択的に受容して、また、次の国家を形作っていく。
近代までは、国家の盛衰は、およそ、こんな流れだったのではないだろうか?
知識の独占による権力基盤が維持される
そして、これらの国家の繁栄を支えていたのは、一般に識字率が低く、知識層が権力を持ちやすかったからではないか。そして、これらの国家においては、武力、お金、宗教的な権力基盤、世俗的な権力基盤が知識の独占によって維持されてきたのではないか?
グーテンベルグが不安定を生み出した
そして、グーテンベルグが生み出した活版印刷が、このある意味、安定的な知識の独占構造を突き崩し、「不安定さ」と引き換えに、「広域での情報共有」、「時代を超えた状況共有」を可能にした。いわば、人類が外部の脳みそを獲得したのが、グーテンベルグの活版印刷であった。
しかし、この活版印刷は今日歴史の教科書で出てくるような良い結果だけはもたらしてはいない。実は、情報の民主化により、意見の相違や偏見の蔓延を生み、多くの悪い結果を生み出した。
以下に、活版印刷が、直接・間接に引き起こしたと思われる、死者数の数字を掲載する。
人々は情報を信じやすい。人々は操作されやすい。
このように、知識の独占が壊され、情報が民主化された結果、多くの不幸な出来事が起きた。これは、ある種、「印刷された文字」を人間が絶対的なものと信じて、思考するのをやめてしまった結果ではないだろうか?
そして、これは、活版印刷が生まれた結果、従来よりも、情報へのアクセスが可能になり、今までは、自分の日常、身の回りの狭い世界にだけ関心があった人々の関心が、広い世界へと向く、その結果、権威への疑いや、意見の相違などが生まれ、それが争いや対立を生んだという事ではないだろうか?
現代社会は、グーテンベルグの悲劇が再現されている
では、翻って、現代社会を見てみよう。インターネットにより、誰でもが情報にアクセスできるようになった。マークザッカーバーグが夢見た世界中の人がSNSでつながる社会が実現されたが、我々は幸せになっているのだろうか?否、我々は、不幸せになっているのではないか?
我々は、ますます、大量の情報にさらされ、何が真実で、何が嘘かが見分けがつかなくなっている。このような状況では、誰かを信じるしかないし、それは、自分がすでに感じてる違和感を説明してくれる誰かに過ぎない。すなわち、情報が増え、真実が現れてくるわけではなく、意見の対立が増え、利害の対立が増えていくのである。
これは、先に説明したグーテンベルグの悲劇の再来といえないだろうか?
このようにして考えてみると、改めてこの重要な事実に気付く。
今日のAI時代は、グーテンベルグの再来であり、そして、グーテンベルク時代以上の大混乱を生む。我々はそれに備えないといけない。
活版印刷時代に、人々が、印刷された本やポスターを無批判に信じ、それにより対立や争いが生まれた。生成AIは、情報を整理・加工するのは得意だが、まだ、思考するレベルにはたどり着いていない。一方、我々が生成AIを使っていると、あたかも、生成AIのアウトプットが、思考された結果、熟慮された結果のものとして受け止めてしまい、それを批判・確認することなく、利用しがちである。
AI時代にはジャーナリストが求められる
このようにして考えてくると、私が今思う事がある。一つは、生成AIは、ますます情報爆発を生む。そして、生成AIを活用すれば、フェイクニュースを量産する事も可能だし、実際そういう現象も起きている。だとすると、我々は、今まで以上、批判的な思考を身につけないと、AI時代には生き残れないことになる。AI時代には、あまたある情報の中から、確からしい情報を見つけ出す、ジャーナリスト的な能力が求められるのではないか?
加えて、もう一つ思うのが、脳のポンコツぶりだ。活版印刷の発明以降、人間は、何度となく、間違いを起こしてきた。魔女狩り、ユダヤ人差別、宗教対立などなど。そして、今、地域紛争、国家戦争、内戦のリスクが高まっている。
ポンコツな脳みそを何とかしないといけない
私が思うには、問題は、人間の脳の二重構造にある。人間の脳の中心部分には、情動をつかさどる部分があり、ここは容易にハックされやすい。そして、大脳新皮質という外側の部分に関しては、そのパターン認識に強いという特性上、逆に、思い込みや間違いを生みやすい。
したがって、今後は、我々が、正しく情報を受け取り、分析するスキルを磨くことはもちろんのこと、この人間の脳の限界をどのように乗り越えるのか、ということも、当然ながら探求の対象になるであろう。それは、今の生成AIを発展される形で、だまされにくく、間違いにくい外部脳を作る試みかもしれないし、あるいは、脳そのものを生物学的に変える試みかもしれない。
いずれにしても、我々は、大きな過渡期にいるのは間違いない。我々は、未来を切り開かないといけない。そして、これは個人的な信念であるが、未来は、過去に学ぶことから生み出さられる。なぜなら、我々は、過去の試練を乗り越える事で、未来を作っていくのだから。